Otona no Kadaitosho

2020.01.13

「ニューヨーク・アートシーン」

埼玉県立近代美術館で開催中の「ニューヨーク・アートシーン」に行ってきました。
 
アメリカの抽象表現主義からニューペインティングまでをおさらいできるような内容の展覧会。
大学生の頃、美術史を専攻していて、卒論に選んだのがバーネット・ニューマンだったので、
あの頃のワクワクした気持ちをまた思い出していました。
 
大画面いっぱいに色彩を施した、
カラーフィールドペインティングの代表的画家であるバーネット・ニューマン、
溢れる色彩が放つ光は、実際に作品に対峙してみないとわからないものです。
本展覧会ではニューマン作品は大画面の作品ではなく、ジップと名付けられたストライプが画面を縦断する作品が展示されていました。
同じカラーフィールドペインティングの画家、マーク・ロスコの作品もすぐ隣にあり、
こちらの方は色彩を抑えた禁欲的な大画面でしたね。
 
 
卒論では、ニューマンの作品を、
カバラというユダヤ教の伝統に基づいた神秘主義の思想に影響を受けたものとして論述を展開したんですけれど、
なかなかこれが私の能力を超えたテーマすぎて笑 
広げた問題を回収しきれなかった・・・
でも着眼点は悪くなかったよねって、また作品見て思ったんです。
 
ニューマンの作品は見る者を静謐な精神世界へいざないます。
何も描かれていない大画面に対峙し、その色彩の光に圧倒される時、
鑑賞者から作品に向けて一方通行だったはずの視点は画面にぶつかって反射し、
光とともに自分の方に返ってくるのです。
そこで歓喜とともに自らを発見する。その発見の仕方というのが、非常に宗教的だなって思うんですよね。
 
哲学者で浄土真宗僧侶でもあった大峯顕さんが、
「『救い』というのは、既に救われていたと気づくことだ」と言っていました。
つまりは一方通行だった祈り(救いを求める気持ち)がある時を境に反転して逆戻りする、自分の方に返ってくる、
それが悟りと呼ばれるような宗教的カタルシス(って言って良いのかな・・・w)だみたいなことですよね。
こういう外向き→内向きのベクトルの反転ってどの宗教においてもあるんじゃないかなあ・・・
とか思いつつ実証できる知識もガッツもないのですけども。
 
神道に話が飛べば、神社に神鏡という鏡が祀られていることがあるじゃないですか。
御神体として祀られていることもあって、本来は太陽を象徴する意味で祀られているということなんですが、
カラーフィールドペインティングはこの神鏡に近いなって私勝手に思ってるんですよね。ほんと、かなり勝手に。
光を放つ神鏡に祈り、そこに反射する自らを発見する。
それって、色彩の画面を鑑賞する私達そのものだなと思うのです。
 
カバラの件につきましては結局いまだに曖昧模糊としておるのですが、
確かなのはまさに「崇高なもの」の表現を見ているということ。
そして大切なのは、何度見ても感動してしまう、
なんか浴びる、打たれる、そんなきもち。
拙い表現ですが、ただそういうこと。
 
展覧会の図録はかつて論文を見ていただいた尾崎先生が解説を書かれていて、
こちらも懐かしく嬉しかったです。
 
なぜか市民図書館を彷彿とさせる、ほっこり感のある埼玉県立近代美術館は好きな美術館の一つで、
正統派の筋が通った企画展が多いなって私は思っています。
休日だったので家族連れが多く、はしゃぐ子供たちの声が聞こえて、冬なのに少し温かい一日でした。