Otona no Kadaitosho

2019.09.23

『バスキア展 メイド・イン・ジャパン』

森アーツセンターギャラリーで開催中のバスキア展に行ってきました。

バスキアの大規模展示(想像してたより全然作品数多かったです!)ってなかなかないし、

今回私の大学の先生が、日本側監修をされていたので、すごく楽しみにしていました。

 

はじめてバスキアを知ったのは中学の頃、何かの本で紹介されていたのを見てすごく惹かれたんですよね。

画面いっぱいに書き込まれた手書きの文字と、落書き風の人物表現がとても印象的でした。

 

その後、ジュリアン・シュナーベルの映画『バスキア』で、私はまたバスキアに触れるわけですけど、

ただこの頃の私って、美術史に興味を持って、割と作品も見たり、美術に対する知識がつき始めていた頃だったので、尖っていたというか・・・w

当時の私にはバスキアってちょっと軟派でアカデミックではない感じに見えてしまっていたんですよ。

大学ではアメリカの現代美術を研究していましたが、バスキアとはまるで真逆の、カラーフィールドペインティングなどの禁欲的な作品に熱中していました。

 

そんな一時バスキア離れしていた私ですが、今回の展示で、圧倒的なパワーを発する作品たちの前に立ち、

中学の頃、バスキアを初めて知り好きだと感じた、あのワクワクした気持ちを思い出していました。

 

荒々しい筆使い、鮮やかな色彩は、エネルギーで満ち満ちています。

吹き荒れているのはきっと、当時のニューヨークの時代の風ですね。

彗星のごとく現れて、嵐のように去っていった、当時のアイコンともいうべき存在。

彼が黒人であるということや、27歳の若さで亡くなったその短い生涯、そういった背景を抜きにしてバスキア作品を見ることはもはやできないのですけど、その画面に圧倒される時、粗野な強さとその中に潜む繊細さにとても心揺さぶられます。

 

そして、やはり独特の文字の表現ですね。

すごく音楽的なんですよね。

音楽を主題にしている作品も多いし、バスキアも自らバンド活動していたから当然なんでしょうけど、画面の中での文字の配置、空白の使い方みたいなものに、絶妙なリズムのようなものを感じます。

私の話で非常に恐縮なんですけども・・・例えば私が音楽を作る時、詩があって、主旋律があって、曲のイメージがあって、その間を音(楽器)で埋めていく、そんな感覚で作るんですけど、絶妙な位置に絶妙なスネアが入ってるとか、ここの空間の欲しいところに欲しいストリングスが入ってるとか、バスキアの文字の使い方はそんな感覚になんか似ているような気がします。

同じ文字の反復は、ウォーホルのキャンベル缶のような機械的な反復とは対象的なもので、手書きである為に、有機的なリズムみたいだし、文字で埋め尽くされた空間は全体として猛々しい一つの和音のように押し寄せてきます。文字を楽器(ツール)のように使う、その意味でもグラフィティ的と言えるかもしれませんね。

 

先入観によるイメージが強くて、ちゃんと作品を純粋な気持ちで見れたことなかったんですけど、やっぱり真面目に実物見るべきですね。

今回はなんだか一周回って再発見できたな。

レセプション終了後に先生ともその話したんですが、そうか・・・グラフィティと純粋美術の中間地点、そーゆー稀有な存在なんだってストンと腑に落ちました。

私にとっては、バスキアという画家の魅力を再発見する機会になりました。

 

 

ドアをキャンバスにしたものとか(「ポーク」)、「オニオンガム」、「SEE」、SAVOYのドローイング、空手のんとか個人的にその辺好きでしたよ。

パワー浴びに是非行ってみてください。