Otona no Kadaitosho

2019.07.27

徒然なるままに

中学や高校のとき、
よく授業中に窓の外を眺めていて、
「いつも物思いにふけってるよね・・・」と言われていましたが、
本当はただボーッとしているだけだったので、
我ながら結構得してるタイプだなあ、と思ってました。

 

だからきっと、

これまで音楽活動を縮小していた期間も、
ファンの皆様は、
私が何か物思いにふけっているんだろうな~と、
思ってくださっていたんでしょうけれども、
実は結構ボーッと過ごしてたんです。

本当に本ばかり読んでました。

 

だけど、
私にとってこの一年は、
とても大切で必要な時間でした。
そうでなくてはならなかったし、
それ以上はできなかった。
そんな必然でありました。

今まで見えていたものが、
別の視点で、もっと鮮やかに美しく見えるようになりました。
これについては、また追々書きたいのですけど、
一言で言えば、
「何も分からない」ということが分かった。
それに尽きます。

何も分からないことが分かった時、
世界は私の手から離れ(元々手の中にはなかったのだけど・・・)、
自分の人生すら、「作る」ことも「アレンジ」することも不可能なのだと気づきました。
大きな偶然と奇跡の海を
思索しながら漂っている、そんな感じなんです。
決してなんかの宗教に入ったとかではないのでご心配なく。
言うなれば、哲学のお話です。
でもそんなに難しい話じゃないんですよ。

 

例えば最近、
茶道を始めて、
とても感動したことがあるんですけど、
茶器を清める時とかに使う朱色の袱紗。
これは一見すると正方形に見えるんですけど、
実は正方形ではないんです。
だから、綺麗に畳もうとして、あっちを引っ張ったり、こっちを縮めたりして、

いくら頑張っても角と角が合わないんです。
だけど無心で、教えられた通り手なりに、
優しく布の行きたい方向に導いていくと、
何故か綺麗に畳むことができるんですね。
つまりは利休さんの時代かわかりませんけれど、
昔の偉い人が、そういう寸法になるように、

この袱紗っていうお道具を作ったってことなんです。
すごいことだなあと思って。

 

こうすればこうなるって経験で分かってるから、
無理矢理、持っていこう、作ろうとするけど、
そうすると結局うまくいかない。
人生すら、自然の成り行きに、
手を添えていくだけでいいんだ。
そんなことを教えられた気がしました。

 

トイプードル通信を楽しみにしてくれていた方は多かったと思うので、
あからさまにサボっていることを本当に申し訳なく思いますが、
なんだかこう決まった形で、
何かをやることが窮屈に感じてきて・・・
でもせっかくこんな素敵なHPも作ってもらったし、
「大人の課題図書コーナー」も設けたので、
この場を借りて、
徒然なるままに
心にうつりゆくよしなしごとを、
そこはかとなく書いていこうと思います。
(不定期でw)