Otona no Kadaitosho

2018.09.14

金子光晴『女たちへのいたみうた』(トイプードル通信2018年6月号より)

今月の課題図書は
金子光晴
『女たちへのいたみうた』
 
 
「オトザイさんは誰の影響を受けていますか?」
 
といった質問をしばしば受けるのですが、
この人!という確固たる答えがなくて難儀します。
いつも、80年代の~、ニューミュージックの~、とか言って誤魔化してて、
その度に、誰か決めとかなきゃなあ・・・って思うのだけど、すぐ忘れちゃう。
 
楽曲のテイストやメロディーラインについては、ジャンル問わずありとあらゆるミュージシャンの影響を受けていて、
裏返すと、取り立てて誰の影響も受けていないとも言えます。
 
 
この前、とある方に、
「誰を目標にしていますか?」とメールで聞かれたので、
「エディット・ピアフです」と返信したら、
それ以降パッタリと連絡が途絶えたww
楽曲について、影響や目標を尋ねるのはもう辞めてほしい。
 
 
そんな私ですが!
歌詞については、行き詰った時に、
時折インスピレーションの扉を開いてくれる詩人がいるのです。
それが今回ご紹介する金子光晴その人です。
 
 
 
草や木は、鬱々とひろがり、ふかいりしたものどもは、たがひにまさぐりあふ。
こころを越えて憂愁は、みなぎりわたる。だが、月はない。
人がおほかたねくたれてゐるひまに、どつかでふり捨てるつもりで、全重量を背中にのせたまゝ大地は、
ぬすびとのように疾走してゐる。
 
そして、追放者、嫖客など、夢なかばに目ざめたものばかりが待つてゐる。
まだほど遠いしののめを。みしらぬくにのあたらしい刑罰を。うつくしい難破を。
 
 
 
金子光晴を読む時、いつも、
ああ、雨に濡れた銃だ、
と思う。
銃弾はしっかりと湿っていて、
スローモーションでズドーンと心を撃ち抜かれる。
 
一つの言葉には、本来無数のイメージが存在しうる。
でも、この詩人の言葉は、人によって捉え方が変わるというような生易しいものでなくて、
彼が想起した唯一の情景を表現する唯一の言葉であるような気がする。
選び抜かれ、磨き抜かれた言葉の銃弾なのです。
 
そしてそれは、「美しい」という表現では言い足りない。
そう呼ぶしか術がなく、
そう呼ぶことが口惜しい程に美しい。
 
 
紹介した本は、高橋源一郎氏が編集した詩集なのですが、
わたしが金子光晴を知った初めての本なのです。
入り口としてとても良書だと思うので、興味を持たれた方はぜひ♪
 
 
おやすみ、
おはよう。
また会う日まで。
 
オトザイサトコ