Otona no Kadaitosho

2019.09.28

『小早川秋聲ー無限のひろがりと寂けさとー』

加島美術で開催された『小早川秋聲ー無限のひろがりと寂けさとー』に行ってきました。

 

目当ては陸軍省から受け取りを拒否されたというエピソードのある「国の盾」。

とても有名な作品ですが、実物を見るのはこれがはじめてで、

そのなんともいえない迫力に釘付けになりました。

 

黒い画面にぼうっと浮かび上がる兵士の遺体は、その体の重量感がずっしりと伝わってくるように感じられ、だからこそ一層生々しい。

陳腐な表現ですけど、まさについさっきまで体温を持ち、生きていたと感じさせるものでした。

絵から質量を感じるっていうか…とても不思議な感覚だった。

 

そして、背景に広がる黒は、きっとこの世ではない、どこでもない闇。

戦死者の魂がさまよう場所でしょうか。

 

これは後から調べて知ったことなんですけれども、

秋聲は当初この絵に「軍神」というタイトルを付けていたそうなんです。

背景は現在のような漆黒ではなく、桜の花びらや金粉をふんだんに散りばめた荘厳なもので、戦死者を称える絵だったようです。戦後の価値観の変化により、戦争の凄惨さを表現するため、絵の背景を黒く塗りつぶしたんだとか。

 

展覧会の会場で、私はカズオイシグロの「浮世の画家」を思い出していました。

戦時中に日本精神を鼓舞するような絵を描いて、活躍し有名になった主人公の老画家は、戦後、価値観の変化により表舞台から遠ざかり、周囲からも白い目で見られるようになります。

自分の過去の仕事への疑念、対して画家としての信念、その狭間で葛藤する主人公の姿を書いた小説です。

 

この「浮世の画家」の苦悩に、私は小早川秋聲を重ねて見てしまっていました。

「浮世の画家」にはモデルがいないって、カズオイシグロは言ってるみたいだし、

秋聲と違って、確かこの小説の主人公は従軍していなかったと思うから、全然関係ないんですけどね。

でも、戦前から戦後の大きな価値観の変化に小早川秋聲もまた動揺し、苦悩したはず。

 

自ら従軍し、戦争の悲惨さをその目で見た秋聲。

「国の盾」で、背景を黒く塗り籠めながら、

戦時中の時局に乗じた作品を描いた自分をも、

黒く黒く塗り潰して、見えなくしてしまいたかったのかもしれません。