Otona no Kadaitosho

2019.08.11

見る眼

新しい住まいを探している時に
お世話になった不動産屋のお兄さんは、
関西出身の気さくな方で。

物件を見て周る間、
色々世間話もしたのですが、
「東京来たら何したいですか?」
と聞かれたので、
「美術館にたくさん行きたいです」
て答えると、
「凄いっすね〜!僕、あーゆー美術とか全然分からないんですよね。」て言ってて。

なかなか「私は美術が分かる」と言える人は、そうはいないと思うけど、
この手の事って、
「分からない」派か
「好き」派に別れる気がしますね。

 

「分からない」と言う人は「分からない」という事が「分かって」いるので、知らない訳ではないのだから、別にいいと思う。

けれども、
たまに「あんなん私でも描けるわ」とか言う人がいて、そういうのは「私は美術が分かる」と言う人と同レベルの身の程知らずなので、あまり言わない方がいいんじゃないかなと思われます。

 

そういう人は大抵、作品に対して、受け身ですよね。
「芸術というものはすべからく人を感動させるべきだ」と居丈高に思っているので、
自分の感性を動かせられない作品は、駄作だとこう言いたいわけですよ。
ですけど、大概の場合は、その山のように動かない感性の方が、駄目になってますね。鈍ってます。

 

芸術というものは、普遍的なものだと思います。
でもその普遍性を感じ取る力がない感性に対しては、意味がないものになってしまう。
感性を動かすためには、たくさん展示を見ることが大事と思ってます。たくさん体験することです。
見る眼を養うとはそういうことかと思います。

 

私も見る眼を養い中。
特にもっと単純な目で、作品の姿を捉えられるようになりたい。
東京は見るものたくさんありそうで、楽しみです。